「山のお茶は、貯蔵しておくと香・味がより深まる」と言われています。
江戸時代、駿府城に居城した大御所徳川家康公は、
春(新茶の時期)、茶壺にお茶を詰め、
夏の間、標高1000mを超える冷涼な井川大日峠に設けたお茶壺屋敷で保管・熟成させ、
晩秋に駿府へ運ばせ、味わい深い風味と香りを楽しんだ
と言われており、駿府本山お茶まつり委員会では、この故事にならって5月から半年にわたり一連イベントを開催しています。
一連イベントの最初となる今回は、「茶詰めの儀」(新茶「静岡本山茶」を茶壺に入れ封印する儀式)を執り行うほか、
家康公も味わった「熟成本山茶」・「静岡本山茶」の無料呈茶を行います。
――家康公の静岡茶へのこだわりを今に伝える、歴史・文化・茶のすべてが集約された、静岡ならではの儀式――
是非お立ち寄りください。
日時:平成28年5月28日(土)午前11時から午後2時まで(雨天決行)
会場:JR静岡駅北口地下広場イベントスペース
主催:駿府本山お茶まつり委員会
「聖一国師堂」をご存知でしょうか?
5月17日、清水区馬走北にある「聖一国師堂」で、鎌倉時代に中国から静岡に茶を伝え「静岡茶の祖」と言われる聖一国師の法要、春の祭典が、聖一国師静岡顕彰会(事務局:静岡鉄道株式会社)の主催により、厳かのうちに執り行われました。
“馬走”というより“狐ヶ崎”と言った方がわかる方が多いかもしれませんね。
南幹線沿いの「イオン清水店」(かつて「狐ヶ崎遊園地」「狐ヶ崎ヤングランド」のあった地です)のすぐ南側に見える朱塗りの美しいお堂です。
聖一国師のお生まれは、藁科川の上流、葵区栃沢です。それがなぜ、この清水の地に国師を祭るお堂があるのでしょう。
このお堂に国師像配置を発意したのは、東急電鉄の創業者で、静岡鉄道の初代会長を務めた五島慶太氏と、当時の静岡鉄道社長 川井健太郎氏とのことです。静岡茶の清水港への輸送に創業の端を発する静岡鉄道こそが国師の顕彰を行うべきとの考えであったようです。
昭和29年(1954年)10月24日、お堂に国師真像が安置され、以来、このお堂は「聖一国師堂」と言われるようになりました。
物語は今もなお生きています。本年(2016年)は、明治39年(1906年)、清水港から直接海外にお茶を輸出して110年の記念の年です。その110年目の本年3月、静岡鉄道は約40年ぶりに新型車両の運行を開始しました。“行こう。虹色の未来へ。”と―
お堂からは、市街地、清水港、そして富士山が一望できます。国師の蒔いた種が、数百年の後、日本を代表する茶どころになっただけでなく、国際貿易港を有する大きな街に・・・ その様子を一望できるこの場所は、一番ふさわしい場所なのかもしれません。祭典に参列中、そんな思いが頭をよぎりました。
「聖一国師」や「聖一国師堂」について、詳しくは静岡鉄道株式会社のウェブサイトをご覧ください。
https://group.shizutetsu.co.jp/column/syouichikokushi/index.html
聖一国師堂の内部です。なかなかご覧になれる機会は少なく、貴重な写真です。
今年3月24日に運行開始した新型車両です(A3000形) ※静岡鉄道株式会社の新型車両の写真は、同社広報課様より提供いただきました。
今回は「山のお茶」(静岡市葵区)を紹介します。
静岡市葵区の「山のお茶」の有名な場所の一つに「別所平」(静岡市葵区松野)があります。
面積は約30ha(東京ドーム約6.5個分)あり、お茶畑が一面に広がる、
これぞ「お茶のまち静岡市」を実感できる場所です。
近くでは「クリンティー松野」でのお茶工場見学(要予約)もできます。
ぜひ、お立ち寄りください。
(※お茶畑に行かれる際は、茶農家の迷惑にならないようにしてください。また、所有者の許可なしで茶畑に入らないようお願いいたします)
「お茶のまち静岡市」ホームページでは、「お茶体験ガイドブック」を掲載しています。
「世界お茶まつり2016」のプログラムとして、5月13日(金)に富士山静岡空港 石雲院展望デッキにて知事への新茶贈呈式が行われました。
県内15カ所の産地のお茶を茶娘から静岡県知事へ贈呈しました。
今年は「世界お茶まつり2016」の開催に合わせ、台湾 嘉義県知事はじめ海外からのお客様も出席され、静岡県内のお茶を贈呈しました。
静岡市からは「静岡市茶っきり娘」の2名が「静岡本山茶」と「清水のお茶」を贈呈しました。
今年は凍霜害の影響も少なく、どの産地のお茶もとても良い出来だそうです。
皆さんもいろいろな産地の自慢のお茶を飲み比べてみてくださいね。
5月13日(金)~5月15日(日)まで富士山静岡空港周辺、島田市お茶の郷で開催されました。
静岡本山茶 説明
静岡本山茶 贈呈
左から、台湾嘉義県 張知事、静岡県 川勝知事、静岡市茶っきり娘
清水のお茶 説明
清水のお茶 贈呈
お茶の生産・流通・消費の一大拠点である本市において、手揉製茶は茶の製造技術の原点。
静岡市の模型産業をPRするホビーショーにて、同じく伝統の匠の技をもつ地場産業の手揉製茶実演を初めて出展します!
今年とれたての新茶をふんだんに使った手揉製茶の実演を通して、会場を訪れる市民等の皆さまには、「手揉製茶技術」のことをより知っていただき、手揉製茶によって会場にたちこめる新茶のさわやかな香りから「新茶の季節」を五感で感じとっていただければと思います。
伝統の匠の技を間近で見られる絶好のチャンスです!
ホビーショーにおいでの際は、「新茶の手揉実演」のブースにもぜひお立ち寄りくださいね!
写真は初取引があった4月21日に静岡庁舎で実演した時の様子です。
「5月13日」は、何の日か知っていますか?
実は、初めて清水港から直接海外にお茶を輸出した記念日なんです。
そして、今年はその110回目の記念日となります!
江戸末期、鎖国政策に幕を閉じ、海外との貿易が横浜港や神戸港で始まりました。
当時、日本からの代表的な輸出産物は生糸とお茶でした。静岡のお茶も海路や陸路を通じ横浜港から輸出されていました。
“直接清水港から輸出できれば、お茶の振興につながる”― 旧安倍郡井川村出身の海野孝三郎ら茶業者や清水の海運業者が国へ働き掛け、明治32年(1899年)開港場に指定。
そして、ようやく明治39年(1906年)5月13日、清水港からアメリカ・シアトルに向けて、静岡茶を積んだ「神奈川丸」が直航します。
当時の新聞は「この日こそ清水港の歴史を一新する記念の吉日」と大きく報じました。
これを契機に、静岡のお茶生産は拡大、また港の整備も急速に進んだほか、静岡と清水を結ぶ鉄道の敷設(現在の静岡鉄道)など、都市としての発展が飛躍的に進みます。
今から10年前、清水港にあるマリンターミナルで「お茶直輸出100周年」を記念した盛大なイベント「お茶100年祭」が開催されました。そこで発せられた「静岡市お茶のまちづくり宣言」が、現在、官民で進める「お茶のまちづくり」の原点となった、たいへん意義深い日なのです。
直輸出実現に功績のあった海野孝三郎翁の頌功碑
10年前の記念の日、日本平山頂から、茶の輸出にゆかりの深いこの地に移されました
かつて盛んに輸出茶が積み込まれていた清水港―現在は人々の憩いの地でもあります
臨済宗大本山東福寺(京都市)を開山した聖一国師が、静岡市(葵区栃沢)の出身であることをご存知ですか?
平成28年5月4日(水)に東福寺で、「静岡市のお茶」のPRや国師生誕の地のお茶等の販売を大川地区自治会連合会の皆様と茶っきり娘(3人)が行いました。
今年で2回目の開催ですが、今年初めて実施した茶席(お茶菓子付1人500円)では、「静岡市のお茶」(大川産の煎茶)を提供し、多くのお客様がお越しくださいました。
「生わさび(静岡市栃沢産)」、「ゆずみそまんじゅう」、「静岡本山茶」の販売も好評でした。
東福寺には、大川地区の方が植えたお茶の木も植えてあります。
京都に旅行で行かれた時は、静岡市とゆかりのある東福寺に足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
静岡市茶っきり娘
お供え物
お供え物を献上
「静岡市のお茶」は中山間地域で生産される、香り高い「山のお茶」が特徴です。
「山のお茶」の生産は5月上旬以降に一番茶の最盛期を迎えることから、田辺市長自ら市内茶工場を激励巡回しました。
4月29日はJA静岡市管内の6工場、5月3日にはJAしみず管内の7工場を訪問しました。
巡回先の茶工場では、茶業の現状や今後のあり方について、生産者の方と熱心な意見交換が行われました。
5月上旬以降、茶工場は一番茶の生産でフル稼働します。
生産者の方と熱心な意見交換が行われました。
5月6日(金)に東豊田こども園、久能こども園の園児(年長児)が有度山(日本平)でお茶摘みを行いました。
地元の有志の方々からお茶の摘み方である「一芯二葉」を教えていただき、お茶摘み体験では「一芯二葉」を思い出しながら一枚一枚丁寧に摘んでいきました。
たくさんのお茶の葉を摘んだ後は、全員で「茶っきり節」を踊って地元の方々へお礼をしました。
今年度で24年続く新緑の季節の恒例行事です。
このような体験ができるのも「お茶のまち静岡市」ならではですね。
【お茶摘み説明】
※地元の方々の説明を真剣に聞きました。
【お茶摘み】
※「一芯二葉」で上手に摘みました。
【茶っきり節】
※大きな声で元気に踊りました。